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  • 2015.12.03 Thursday

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    無駄(2)

    • 2015.10.06 Tuesday
    • 18:07
    今の日本は、無駄が少なくなってるんじゃないですかね。

    無駄のない世界が広がると、人とのつながりや物事の良し悪しの判断が、好き嫌いばかりになってしまいますよ。
    好き嫌いばかりになると、同じ思考を持ち寄った小さなコミュニティーしか出来上がりません。

    アートは本来、人や社会の関わりの中で生まれるべき無駄です。
    しかし作者が自由気ままに自分の趣味に沿ったものばかり作りはじめると、たとえそれが流行に乗って金儲けになったとしても、見てる人たちも好き嫌いの判断基準しか持つことが出来なくなってしまいます。
    好き嫌いは受け入れることが出来るか出来ないかだけですから、小さなコミュニティーで完結してしまいます。

    アートが日本社会の縮図みたいになってしまうことは、とても残念なことですね。

    近頃のニュースでは、政治家は電気が必要なので原発稼働します。国を守るために法律を捻じ曲げますとか言っていて、その度に反対派の人たちがたくさん抗議活動をしたりしているようです。
    政治家はその場を取り繕うことばかりで、政治なんて誰がやっても一緒という国民の諦めムードも、ここ数十年変わりません。
    時々新しい党が政権を取って盛り上がったりしますが、期待して応援した人たちも、結局裏切られた気持ちになることが多いですね。

    若者のクラブ活動や街のギャングのような集まりだって、街で一番になろうとか新しい時代を築こうとかって皆で思いながら団結しているのに、日本の大人たちはなんとなく同じ服を着た人たちが集まって、路上で騒いでる飲み仲間みたいです。
    今の政治を批判する人たちも、子供たちを戦争に行かせたくないのは当たり前の話で、それを取り上げて感情論ばかりになってしまうと残念ですね。

    賛成の人も反対の人も、一人一人は違う形の幸せを思い描くかもしれないのに、それについては心を開いて話をしない。
    今の日本は無駄を恐れて、好き嫌い、イエスかノーかで騒ぐことが多いんじゃないですかね。
    ネットなんかでぐちぐち言う人と、きちんと説明もしないで国民をガン無視する社会的に偉い人がいて、行き場のない絶望を抱えた人たちがヘイトスピーチとかに向かってしまったりする。

    無駄がなくなった世の中は、今しか見えなくなります。

    政治家は責任を取らないまま自由に振舞って、国民は自由にやりたい放題していく。
    国としてどのような豊かさを求めるのか、それがイメージできるか、共有できるか、などがもっと求められているんじゃないですかね。

    国の形や未来にだって、真面目に学生服を着るらしさや、やんちゃに生きるらしさがあるはずですよ。
    例えば北欧だったら福祉とか、シンガポールだったら移民とかっていう、全体の方向性があります。
    それを実現するためには、強い信念や、多くの無駄な議論や争いがあったはずですよ。

    日本は利便性や合理性を求めてとても住みやすい国にはなりましたが、無駄を受け入れる心の広さや、無駄になるかもしれない議論や、無駄に終わってしまうかもしれない飛びぬけた発想力や構想力を認めていく文化は少なくなってしまったようです。

    オリンピックを今さら東京でやるのなんて、くだらないって思ってる人も多いはずです。
    その場しのぎの経済効果や元気の出そうな話を持ち出しても、オリンピックなんて他力本願、今どき独創性の欠片もありませんね。
    やるならやるでいいですが、競技場やロゴの問題だって、運営者のオリンピックにかける思いや信念が見えないし、デザイナーにはデザイン哲学の欠片も見えてきません。
    無駄をそぎ落とした機能や効率といった、表面上の説明しか出来ないから、何も感動や共感を生みませんね。

    そんな様子に飽き飽きしてる国民たちに、ネットなんかで叩かれまくって頭を下げるのは、当然の結果ですね。

    経済的にはある程度豊かになって先進国の仲間入りをした日本なのに、人気の海外ブランドの有名バッグにゆるキャラのキーホルダーをぶら下げて歩くくらいで、満足なんでしょうかね。
    本当は無駄に速いフェラーリみたいな車を作る人がたくさんいたりとか、仕事の合間に昼間からビールをがぶ飲みしたりとか、電車の遅れくらい大目にみてしまう社会の方が、もっと人間らしい豊かさを提示出来るんじゃないだろうかなんて、考えてる人も多いはずです。

    文化的な豊かさを忘れると、今しか見えなくなりますよ。

    コンピューターならデフラグすれば無駄は整理されますが、人間の無駄の歴史は消し去ることができないです。
    進化の過程は無駄の積み重ねにあるはずですね。
    無駄を生み出すことを恐れてはいけません。

    無駄のない世界は、やがて衰退していくはずです。
    無駄のない国は、みんながバラバラになってしまうでしょう。

    ピカソという画家が描いたゲルニカという壁画は、反戦的だという理由で戦争を支持する多くの世間からは、当時は無駄なものだと煙たがれたかもしれません。だけど現在は、多くの人がそれを見て戦争はダメだなとか、考えたりするみたいですよ。
    そんなストーリーがあると、アートも捨てたもんじゃありません。

    誰でもピカソになんてなれないですが、アートに関わる人たちは、一つ一つ無駄を、発信することが出来たらいいかもしれないですね。
    アートを見る人たちは、一つ一つ無駄を、思い出せるといいかもしれないですよ。
     

    無駄(1)

    • 2015.10.06 Tuesday
    • 18:06
    世の中がますます便利になって、エコやリサイクルが流行して、インターネットでいろいろなサービスがタダで手に入る。
    そんな時代にアートなんて、まったく無駄なものですね。

    アートって大量の材料を消費して作られるものが多いし、場所だって取るし手間だってかかる。
    重々しく居座っているけれど、料理にも洗濯にさえ使えない。
    だいたい値段は高いし、のちのち価値が出るからと思って手にしても、無駄使いだって家族には叱られる。

    ひと昔前のヤンキーと言われる不良たちは、詰襟っていう黒い学生服を、短くしたり長くしたり、服の裏側に装飾をしたりしてオシャレしました。制服ってものは機能的で合理的に作られてるからこそ選ばれ、そういう形をしているわけです。
    なのにそれに手を加えるっていうのは、お金だって余分にかかりますし、まさしく無駄な行為ですね。

    今の時代、無駄なものは好まれませんよ。
    無駄なことをしてる人は、格好悪いって思われることの方が多いんじゃないですかね。
    仕事も家事も効率よくこなして、無駄なものはどんどん切り捨てていく。
    そんなスマートな生き方が、どちらかというと推奨されている雰囲気ですね。

    だけど、無駄話とか無駄使いとか無駄な時間とか、無駄って、あんがい大切な人間らしさの一部じゃないですかね。
    無駄の中からいいアイデアが生まれたり、明日も仕事頑張ろうって気になったり、時には無駄を承知で遠回りした方が、人に何かを伝える時なんかにも効果的だったりしますよ。
    みんなわかってるくせに、無理して賢く生きようとしているんじゃないですか。

    昔のヤンキーの無駄には、自分らしさの主張だったり仲間との絆や誇りだったりが表現されていたと思われますよ。
    無駄は時に、その時代の美学や生き方を表したりします。

    そのうち、制服なんか勉強とは無関係で存在自体が無駄だから要りませんっていう人たちなんかも出てきました。
    なんでも自由に着ていいんだったら、無駄はますます少なくなるはずですね。
    ヤンキーだって最初から好きなものを着ればいいわけです。

    無駄は、制服があってこそってわけですが、制服があってこそ、ヤンキーと他の真面目な学生との間にも、それぞれのつながりがありましたよ。

    無駄は人や社会との関わりの中で生まれます。
    優先順位だったり、価値観の違いだったり、道徳観だったり。
    そして無駄は、人と人や、社会を結び付けたりしますよ。

    無駄が減ると自由が増えます。
    無駄な時間を減らすと、自由時間が増え、無駄使いを減らすと、自由に使えるお金が増えますよ。

    しかし自由に身を任せた個人は、お互いの関係性が希薄になってくるかもしれません。
    自由は無駄とは違って単独でも存在できる個人の世界ですから、好き嫌いが増えてきます。
    好き嫌いは受け入れるか受け入れないかですから、イエスかノーばかりになってしまいますね。

    自由が悪いと言っているわけではありません。制服があった方がいいと言っているわけでもありません。
    だけど自由を過信する世の中は、危険かもしれません。
    利益や効率ばかりを意識し、無駄を嫌う世の中も、危ないかもしれません。

    自分の欲望にだけ忠実なストーカーなんて、無駄がないですよ。
    自分本位のストーカーは、怖いですものね。

    制服を着ない若者たちも、仲間でプリクラとったり同じブランドの服を着たりして、結局は自然と無駄でつながっていきますね。
    若者は大人のように、賢く生きようとしていないですから。

    無駄のある世界の方が、人はきっと暮らしやすいはずですよ。
     

    理由さがし

    • 2015.09.02 Wednesday
    • 15:48
    最近はアートという言葉をよく聞きますが、まだまだロックンロールほどの認知度はないようですよ。

    今流行りのアートも、世界の常識とはずれたものかもしれません。
    ニュースではアートが億単位で取引されていると聞くのに、日本のアートには未だに昔ながらの胡散臭さが感じられたりします。

    アートはお金持ちやインテリ層のものなので、庶民にはあまり関係がないのかもしれないですね。
    だけど、どこかのアーティストが大儲けしていて高級車を乗り回している・・っていう話も聞かないですよ。
    庶民はそういう話が好きですから、すぐに話題になってもおかしくないですけどね。

    世の中はお金がすべてではないですが、アートに関わる人たちがどうやって生活をしているのかは気になりますね。
    もしかすると、例え一部の成功者がいるとしても、日本のアートの流通規模はさほど大きくないのかもしれないですね。
    アートが分かりにくい理由がその不透明なところにもあると思われますよ。

    いろいろと考えをめぐらしてみます。

    一つ、日本は家が狭いからアートを保管する場所がない
    一つ、日本の家は壁が狭いからアートを飾る場所がない
    一つ、日本の行政はアートのことを真剣に考えていない
    一つ、日本の税制が悪いからアートを相続するのは難しいし持つ意味がない
    一つ、日本の教育制度が悪いから子供のころからアートに親しむ習慣がない
    一つ、日本の美術館は入館料が高いから敷居が高い

    だから日本人はアートに親しみを感じないし、お金をかけない。

    などなど。確かにどの理由ももっとものように思われます。
    こんなことなら、日本に住んでいてアートを身近に感じることは難しそうですよ。

    だけど、本当にそれだけが現実でしょうか。
    だって日本人はわりと裕福で賢い国民ですし、世界中から面白いものを集めてくるのが、どちらかというと得意な方じゃないですかね。

    それではこういうふうに考えてみるのはどうでしょう。
    アートが一部の人にしか興味を持たれず日本の市場が狭いのは、アートを伝える側にも問題がある・・

    アートの本質と向き合わず、西洋からもたらされたアートに憧れ、分かったふりをして上辺をアレンジしていく。
    アートは時間をかけて考えることを表現しますから、上辺だけのアレンジは心に残りませんよ。
    歳を取ったら興味がなくなってしまうような、若くて輝くアイドルのような存在ではないんです。

    日本には日本なりのアートの形があっていいと思いますよ。
    ただし、誤解されたままのアートを、なんとか無理やり世の中に売り出そうとしたって、それは長続きしません。

    例えばアート作品はそもそも家の壁に収まらないサイズや形状のものが多いですし、家が壁がと言うのはもともとナンセンスですよ。
    メディアでいくら「アートを買ってみよう」と特集したところで、画廊の人たちが少し儲かるくらいでアートに興味を持つ人はたいして増えません。
    アーティストや画廊、美術館や評論家やライターと言われる人など、伝える側が自分たちもよく分からないままにアートの幻想を発信し続けている。

    アートで生活をするのは、やはり大変なようですね。

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